彼はまたその雄牛の血を取り、指をもってこれを贖罪所の東の面に注ぎ、また指をもってその血を贖罪所の前に、七たび注がなければならない。
大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。
もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、
なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。
幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはない。
かつ、それを七たび祭壇に注ぎ、祭壇とそのもろもろの器、洗盤とその台に油を注いでこれを聖別し、
祭司は指をその血に浸し、垂幕の前で主の前に七たび注がなければならない。
新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。
兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、
彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけた。
また指をもって七たびその血をその上に注ぎ、イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない。
そして祭司エレアザルは、指をもってその血を取り、会見の幕屋の表に向かって、その血を七たびふりかけなければならない。